昨日買った(入手した)CD。

1:Yes"Live at Montreux 2003"(2007年9月5日)

ライヴ・アット・モントルー2003

ライヴ・アット・モントルー2003

2:Jon Anderson"Animation" (1982年)
Jon Anderson - Animation

Jon Anderson - Animation

3:Jon Anderson"Watching the Flags That Fly(2007年5月)
Watching the Flags That Fly

Watching the Flags That Fly

4:Miyauchi Yuri"タイトル不明"(インストア・ライヴ特典CD)
5:CIRCA:"CIRCA:2007"

佐藤和彦・谷口榮編『吾妻鏡事典』

 東京堂出版 2007年8月20日発行 定価5,000円+税

吾妻鏡」がもつ、社会史や思想史の史料としての側面にアプローチ。政治と合戦、人名考証、社会史、書誌研究の四部構成よりなり、考古学の視線も加えて解説。(おびより)

内容(目次)
はじめに 【編者】
序説 『吾妻鏡』の編纂者と編纂目的を探る 【奥富敬之】
1 政治と合戦
 (一) 治承・寿永の乱 【佐藤和彦】
 (二) 奥州合戦 【大石直正】
 (三) 比企氏の乱・和田合戦 【樋口州男】
 (四) 承久の乱 【櫻井彦】
 (五) 寛喜の飢饉 【野村育世】
 (六) 貞永式目武家政権の自立) 【堀内寛康】
 (七) 宝治合戦 【角田朋彦】
 (八) 諸国群盗の蜂起(反権力の動向) 【渡邊浩史】
 (九) 諸国災害と飢饉(社会不安の増大) 【錦昭江】
 (十) モンゴル戦争・幕府崩壊への道 【松井吉昭】

2 人名考証
 149名を立項(人名省略)
 【新井信子・石附敏幸・櫻井彦・佐藤和彦・鈴木隆敏・土屋伸也・錦昭江・根本隆一・
  野村育世・樋口州男・堀内寛康・松井吉昭】

3 社会史
 頼朝と都市鎌倉の造営 【谷口榮】
 鎌倉武士と城館 【谷口榮】
 東海道を往来する情報 【谷口榮】
 鎌倉の武家儀礼 【今野慶信】
 鎌倉の故事と先例 【今野慶信】
 『吾妻鏡』に登場する様々な人々 【今野慶信】
 『吾妻鏡』を彩る女性たち 【今野慶信】
 占いとまじない 【今野慶信】
 出産をめぐる生と死の風景 【谷口榮】
 鎌倉の罪と罰 【今野慶信】
 鎌倉の信仰 【今野慶信】
 鎌倉を取り巻く生き物たち 【谷口榮】
 海を渡ってきた銅銭 【谷口榮】

4 吾妻鏡の書誌研究
 吾妻鏡の諸本 【高橋秀樹
 吾妻鏡研究の軌跡 【角田朋彦】

 吾妻鏡年表 【佐藤和彦】
 鎌倉概略図
 系 図(清和源氏・将軍系図、北条氏系図
 あとがき 【谷口榮】

吾妻鏡事典

吾妻鏡事典

中世都市研究会

本日は東京都文京区本郷の東京大学で行われた、中世都市研究会「開発と災害」に参加。

昨日は終電一本前で帰ったにも拘らず、朝9時30分までに会場に向かわなければいけなかったので、かなりキツイ。
と言うのも、この日は、


9:30 第二部 災害と飢饉
□中世都市奈良と火災
 佐藤亜聖((財)元興寺文化財研究所
  コメント●安田次郎(お茶の水女子大学
□鎌倉と災害
 高橋慎一朗(東京大学史料編纂所
  コメント●河野眞知郎鶴見大学
応仁の乱への道―牢人・流人・足軽・飢饉―
 早島大祐(京都大学
 コメント●水野章二滋賀県立大学

となっており、いきなり一本目から面白そうな内容。
と同時に石造物研究者でもある考古の佐藤亜聖さんには以前から何かとお世話になっているという事もあります。

開場ギリギリで会場に向かうと、中前勉会員の方で、例会よりもあちこちの考古系シンポジウムでよく会う方にいきなり出会う(笑)。

それにしても眠い。
それも当たり前で、昨晩は寝たのが3時で、起きたのが6時30分。
しかも疲れが溜まっている。
奈良の治承の兵火(いわゆる平家焼き討ち)の評価を覆す面白い報告にも拘らず、何度も落ちかける(笑)。

2本目は史料の高橋慎一郎さんによる報告。非常に興味深い報告にも拘らず、やはり睡魔に何度も襲われる。

午後からは何とか睡魔も去り、閉会までちゃんと聞くと云々。

再興中世前期勉強会例会

中世都市研究会(以下中都研)に参加申し込みしていたにも拘らず、中前勉例会に参加。

単純に、報告が面白そうでストライク・ゾーンだったから。

報告者は田井秀氏、題目は「将軍九條頼経と北条泰時との確執―五大堂明王院の建立に見る―」。

予想通り非常に刺激的な報告でありました。
史料を「読見込む」ことの重要さを痛感。
私も頑張らないとな。

終了後は駒込駅付近で懇親会。

20時30分頃、中都研に参加している石造物研究で知られる考古研究者猫ひぢりさんから電話が掛かってきて、一緒に飲まないか、とお誘いを受けたので、鈴木小太郎さん・高遠彩華さん・私の3人で本郷に向かい、Y氏、そして中世史・歴史考古の世界では著名なO氏と5人で1時間ほど飲むが、とんでもない馬鹿話に終始してしまう。
その後はY氏と分かれてO氏も一緒に駒込に向かい、中前勉懇親会に再び参加する。
今回は23時頃素直に解散。朝まで班(帰宅できなくなった面々で朝までカラオケ、或いは朝まで語りまくる)の開催はなしと云々。

正和2年銘誠心院宝篋印塔

昨日の日記で言及した、正和2年(1313)銘宝篋印塔。
高さ4メートルという大型塔で非常に重厚な印象を受ける

京都の市街地に悠然と立つ優品である。
隅飾りの輪郭が三弧となっているのが特徴的である。

銘文の全容が分からないので断定は出来ないが、正和3年造立ということであれば、和泉式部の墓という伝承は誤りか、或いは後世の供養塔ということになるだろう。

誠心院宝篋印塔群

京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487にある、泉湧寺派の寺院、華獄山東北寺誠心院にある、山口甚介一族の墓とされる小型の宝篋印塔群。
誠心院といえば、伝和泉式部墓とされる正和2年(1313)銘の宝篋印塔が有名だが、これはその南側に安置されている。

山口甚介は、天正年間(1573〜1591)に豊臣秀吉の京都整備の際に誠心院を移転・中興したとされる。

これらの宝篋印塔は、近世の建立にもかかわらず、著名な伝和泉式部宝篋印塔を模したような形をしているのが面白い。
また、右端の寄せ集め塔は、笠に顕著なように他と異なる形をしている。相輪部には一石五輪塔から地輪を除いたものが乗せられている。

為因寺宝篋印塔

久々に書き込んでみる(笑)。

京都市右京区の為因寺にある、著名な文永二年(1265)銘宝篋印塔です。
塔身には「阿難塔」と刻まれており、付近の高山寺明恵髪爪塔として知られる暦仁二年(1239)造立とされる宝篋印塔の模倣とされています。