久我家文書

本日、國学院大学で行われている国史学会平成15年度大会に合わせて特別展示されている久我家文書を拝見してきました。
これはシンポジウム「諸国一宮と神社史研究」に合わせて、尾張国一宮(真清田社)の関係史料を中心に展示したそうです。

元々の目的は貞和2年(1346)4月7日「足利直義裁許状」を見たくて行ったのですが、寿永2年(1183)の八条院丁下文を始めとした池大納言家関連の文書や、北条泰時・時房連署の承久4年(1222)六波羅施行状、正安4年(1302)の六波羅宛(金沢貞顕・普音寺基時)の関東御教書など、興味深い文書が目白押しでした。

さて、見学している最中、寛正5年5月「久我家雑掌申状案」を「これは正文ではないか」と仰られている方がおり、ケースを開けて紙背を見たところ、「久我前内大臣家雑掌申状 寛正五〃」とあったのですが、これを「これは本文とは異筆で、控えとしてのものではなく、幕府が書いたものであろう」と仰っていました。
この方は、國學院大学の千々和到先生だったようで、非常に面白い場面に出くわしたな、と思っていたところ、帰り際、2時間も見学していたので目立ってしまったていたらしく、声を掛けられてしまいました。
千々和先生は板碑の研究をされていたのでお名前を存じておりましたが、失礼なことを言ってしまったのではないかと焦ってしまいました。
私の名前もどうやら某掲示板で見ていらしたようで、驚きました。

その後、国史学会の大会を覗こうと思ったものの、中世は終わってしまっていたようなので、受付で販売していた会誌「国史学」を読んでいましたが、予想以上に関係のある論文が多く、勢いで入会もしてしまいました(笑)。

いや、収穫の多い一日でした(笑)。