2001-01-01から1年間の記事一覧

ジョージ・ハリスン

貞和5年(1349) 足利義詮、持明院殿に華美な装束で参入。11月30日、元ザ・ビートルズのギタリスト「ジョージ・ハリスン」が、癌の為に亡くなりました。ものすごくショックを受けています。 この数日前に、「余命1週間」というニュースを聞いて、嘘であっ…

仏教の史料

1367(貞治6年)4月26日 鎌倉公方足利基氏、28歳で没。 最近、足利氏と仏教の関係を調べるために、仏教関連資料を調べることが多くなっているのですが、結構意外な関係や史料が出てくることがあります。 先日、「樺崎寺」「鑁阿寺」の開山として、…

建武政権期の国史と守護

弘長2年(1262)4月24日、足利頼氏、23歳にて没 吉井功兒著「建武政権期の国史と守護」(近代文藝社)という本を最近図書館で借りたのですが、正直言って驚きました。タイトル通り建武政権期の足利・新田氏を中心とした内容なのですが、鎌倉後期の…

足利撮影紀行(笑)

康平6年(1062)4月3日 源義家、初めて園城寺新八幡宮の祭礼を行う。 永暦2年(1161) 足利義清の梁田御厨の訴訟に関する陳状に関する宣旨が下される。 4月1日の日曜日、足利に行ってきました。 基本的には当サイト用の写真を撮る為だったので…

安達藤九郎盛長と放光寺

建久6年(1195)3月23日 足利義兼、東大寺にて出家。 ・・・と「尊卑文脈」にはありますが、武家年代記には、3月13日の源頼朝による、東大寺落慶供養の際に出家したと書かれています。 東大寺供養は実際にはこの前日の12日に行われたので、本当…

足利義兼と樺崎寺

正治元年(1199)3月8日 足利義兼、46歳で没し、足利の樺崎寺に葬られる。この樺崎寺、義兼の開基で、鎌倉〜室町初期までは足利氏の廟所として栄えました。 現在は義兼の廟所として八幡宮が残るのみで、廃寺となって久しいのですが、なんと今年の1…

時頼廻国伝説

康永2年(1343)3月7日 足利尊氏、亡母(上杉清子)服解による権大納言の復任を辞す。 同時に辞していた征夷大将軍には復任する。私の地元(埼玉県行田市)に、「天州山種智院西明寺」という寺院があります。 「西明寺」は、正嘉年間(1257〜12…

鉢の木伝説

嘉禎4年(1238)2月17日 将軍頼経、入京して六波羅の新御所に入る。 足利泰氏、随兵の最後尾として供奉する。NHK大河ドラマ「北条時宗」、言いたいことは沢山あるのですが、 「鉢の木」について一言。 あれは「佐野源左衛門常世」であって、「天…

10万円の本・・・

建仁元年1月29日 将軍源頼家、蹴鞠を行おうとするも、北条政子に、 「源氏の長老新田義重の忌中であるのに不謹慎である」 と戒める。(吾妻鏡)足利氏系図を更新しました。 主な改良点としては、 1:山名氏が何故足利一族に準ずるかの説明 2:義氏の娘…

無題です(笑)

延応2年(1240)1月23日 足利義氏、北条時房を見舞う。足利頼氏(利氏)の人物説明をUPしました。 丁度、「北条時宗」に始めてちゃんと出てきた日だったのは偶然です(笑)。 でも、台詞なし・・・なんだかなぁ・・・。 やっぱり母が「時頼姉」と…

今日は斯波氏祖の足利家氏の命日です

(年代不明)1月18日 足利尾張入道(家氏)没 この記事は三河国「瀧山寺」(愛知県岡崎市)の縁起に記されているのですが、家氏と言えば、足利泰氏の長男であり、後の三管領家の1つで足利氏庶流中もっとも家格の高かった「斯波氏」の祖となった人物です…

風邪で体調が悪い・・・

観応2年(1351)1月17日 足利直義軍の尊氏・義詮、京都西山善峰寺から峠を越えて丹波に没落。今日は風邪でダウンしてしまってるので、 以前の掲示板の書き込みをこっちに移します。【時宗第1回】 1.足利頼氏(利氏)母(足利泰氏室、北条時氏娘)…

この世は夢の如くに候・・・

観応二年正月十五日。 京にて足利尊氏・義詮、入洛してきた桃井直常と合戦になる。というわけで、日記風のものが出来ました。 取り敢えず、しばらくはNHK大河ドラマ「北条時宗」の突っ込みや感想を 中心にやっていこうかなぁ、と思います。【北条時宗突っ…