安達藤九郎盛長と放光寺

建久6年(1195)3月23日 足利義兼、東大寺にて出家。
・・・と「尊卑文脈」にはありますが、武家年代記には、3月13日の源頼朝による、東大寺落慶供養の際に出家したと書かれています。
東大寺供養は実際にはこの前日の12日に行われたので、本当は3月12日、足利義兼出家、なんですね(苦笑)。

今日仕事帰りに、ふと埼玉県鴻巣市真言宗寺院「放光寺」に行って参りました。掲示板にも書きましたが、「安達藤九郎盛長」の木像のある寺院で、盛長の館跡と言われる地です。
さて、境内に入って本堂にお参りすると、左の奥の方に、影になって良く見えませんでしたが、盛長とおぼしき木像があります。目を外に向け左側を見ると、比較的新しい宝篋印塔と、高野山の町石塔婆と同型で地輪が長い五輪塔があります。高野山の町石塔婆と言えば、安達氏との関連が深いことが知られています。近づいて見てみると、五輪塔には安達一族供養塔、そして宝篋印塔には、「盛長院殿三空道無大居士」とあります。これは、安達盛長と、安達一族の供養塔だったのです。
更に、盛長供養塔の左には、ぼろぼろになった宝篋印塔の上部が。これは、伊豆修善寺にあった伝盛長墓を、移築したものだったのです。
現地に来るまでは、この事をすっかり忘れていたので、ただただ驚くばかりでした。