2003-01-01から1年間の記事一覧

行く年来る年

サイトに来てくださった皆さん、今年一年、本当に有難うございました。 私にとって、今年は変化の大きい一年でした。 特に、再興中世前期勉強会に参加させていただいたことで、これまでにない視点が得られましたし、何より色々な方とお知り合いになれたこと…

中前勉遠足

文和2年(1353)11月9日 足利尊氏娘鶴王(タツオウ)没。さて、昨日、再興中世前期勉強会の秋の遠足ということで、鎌倉に行って参りました。 「東の谷を歩こう〜日蓮ゆかりの寺々〜」ということで、長勝寺から祖師谷を通って松葉谷の安国論寺や妙法…

一度書いたのが消えちゃったよ。・゜・(ノД`)・゜・。

先月末のことですが、修羅場たけなわの時に、以前から欲しかった『神奈川県史 資料編 古代・中世』1〜3全4冊(何故か3巻は上下巻構成なんですよね)を購入いたしました。 〆て2万5千円+送料だったのですが、1冊当たり6千円強は、やはり安いそうです…

歴茶.comオフ会

昨日、またもや上野に於いて常陸王さんの音頭で歴茶.comのオフ会が開かれたので参加してまいりました。 その前に秋葉原にCDを買いに行ったのですが、石丸電気は洋楽輸入版のコーナーが激減してて欲しいものが手に入らず。時間もなかったため、上野に舞い戻り…

再興中世前期勉強会

掲示板にも書きましたが、昨日、ばつ丸さんのお誘いを受けて、「再興中世前期勉強会」の例会に参加させていただき、東京国立博物館で行われている「建長寺創建750年記念特別展 鎌倉−禅の源流」展を見学に行きました。最初に集合場所に行ったときは10名ほど…

『人物叢書 金沢貞顕』

先日ネットの通販で購入した、永井晋『人物叢書 金沢貞顕』(吉川弘文館)を読了いたしました。ネットで注文しても暫く届かず「もしや売り切れか?」と心配したのですが、5日以上経ってようやく手に届きました。永井さんは「金沢文庫」の学芸員であり、北条…

足利庄鑁阿寺

本日、山越忍空『足利庄鑁阿寺』(鑁阿寺。大正元年発行)が届きました。 この本にしか載っていない史料が若干あるので、以前から欲しかったのですが、何せ大正元年発行という古い本(しかも私家版)だけに、まさか安価に入手できるとは思ってもいませんでし…

久寿2年(1155)6月26日 源義国没する。法名、寳幢寺殿泰山觀東義大居士、或いは青蓮寺殿覚阿宗岳梅翁。本日、昨日出版された永井晋氏著『人物叢書金沢貞顕』(吉川弘文館)を予約しました。 以前から出版されることは聞いていたのですが、非常に楽…

久我家文書

本日、國学院大学で行われている国史学会平成15年度大会に合わせて特別展示されている久我家文書を拝見してきました。 これはシンポジウム「諸国一宮と神社史研究」に合わせて、尾張国一宮(真清田社)の関係史料を中心に展示したそうです。元々の目的は貞和…

三浦一族研究会と国史学会

保元2年(1157年)5月29日 大夫尉義康逝去云々。(兵範記) 源(足利)義康没する。最近、「鎌倉遺文研究会」の例会に顔を出すようになりました。実は未だ会員にはなってないのですが(爆)。いや、勿論入会はしますけど(笑)。さて、土曜日には横…

5万ヒット

当サイトが5万ヒットを超えました。 特にカウントを気にしてるわけでもなく、来訪者の方々に対しても素っ気無い作りだなぁ、とは思いますし、まだまだ作りかけのコンテンツも多いのですが(笑)。 元々は自分のためのメモとして作ったサイトでしたが(当初…

ハムスター

飼っていたジャンガリアン・ハムスターの1匹が2日昼頃、死にました。 ここ数日フラフラで歩くと引っくり返り、食事もせず、長くは持たないな、と思ってはいたのですが。 苦しんだ様子はなく、眠るように死んだのが、せめてもの救いです。 最大15匹いたハ…

スペース・シャトル「コロンビア」

暦応4年(1341)2月2日 足利直義、三宝院賢俊を三条坊門第の持仏堂別当職に任じる 。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030201-00000015-yom-int スペース・シャトル「コロンビア」が、大気圏の再突入の際に爆発し、乗組員七人全員が死亡したそう…

企画展「称名寺の石塔-中世律宗と石塔-」

治承5年(1181)2月1日 足利義兼、北条時政の二女時子と結婚する。 遅くなってしまいましたが、1月19日に金沢文庫で行われた企画展「称名寺の石塔-中世律宗と石塔-」に行ってまいりました。 神奈川県横浜市金沢の称名寺には、多くの中世の五輪塔な…

足利義氏

寛喜3年(1231)1月30日 足利義氏、左馬頭に叙任される。 鎌倉時代の足利氏の中でも、特に重要な位置を占める足利義氏ですが、この日、義氏は左馬頭に任じられました。 義氏は天福2年(1234)には従五位上であったので、この時点では官位はそれ…

足利樺崎寺発掘調査現地説明会

文和4年(1355) 正月19日 足利尊氏、武佐寺行宮に参候し、後光厳天皇に進発の旨を報告する。さて、18日は足利の樺崎寺発掘調査現地説明会に、19日は金沢文庫で行われている「称名寺の石塔ー中世律宗と石塔ー」展に行ってまいりました。樺崎寺で…

足利家氏の晩年

(年代不明)1月18日 足利尾張入道家氏蓮阿没以前にもこの記事は書きましたが、吾妻鏡の記述が終わる文永3年以降、家氏の去就は余り知られていません。 吾妻鏡では終盤は「足利大夫判官」として、五位で検非違使であることが分かるのですが、群書類従に…

大御堂棟札写

天福元年(1234)正月16日 足利義氏、鑁阿寺大御堂の上棟にあたり、棟木に棟札を打ちつける。この棟札は義氏が鑁阿寺の大御堂建立の際打ち付けられたものを、弘安9年(1286)の落雷による火災で大御堂が炎上した後に取り出され、正応4年(129…

樺崎寺発掘現場説明会と・・・

掲示板で毒を書いてしまったので、こちらに移します。樺崎寺で検索していた所、以下のリンクのような場所を見つけました。 http://www.page.sannet.ne.jp/zentake/page5.htm (以下抜粋) >足利源氏2代目 義兼公建立の法界寺(現在はなく、この地には樺崎…

新田義重

1202(建仁2年)1月14日 新田義重没。新田義重って結構長生きしたんですよねぇ。 八幡太郎義家の孫なのに、源頼朝没後まで生きてたんですから。 因みに頼朝は義家から数えて5代目ですね。義家−義親−為義−義朝−頼朝対して義重は、義家−義国−義重血統…