樺崎寺発掘現場説明会と・・・

掲示板で毒を書いてしまったので、こちらに移します。

樺崎寺で検索していた所、以下のリンクのような場所を見つけました。
http://www.page.sannet.ne.jp/zentake/page5.htm
(以下抜粋)
>足利源氏2代目 義兼公建立の法界寺(現在はなく、この地には樺崎八幡宮社殿があるのみ)を足利市は、樺崎寺という間違った名称で国に遺跡文化財登録申請をし、平成13年1月には間違った名称である樺崎寺という名称で登録されてしまった。
足利市として、仏教会として恥じ入る次第です。

関連して、
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/gikai/t1209i/t12092b.htm

樺崎寺の正式名称が法界寺である可能性は高いと思いますが、樺崎寺の名称が法界寺であったにせよ、現状では樺崎寺内の赤御堂(現樺崎八幡宮)に対する下御堂が法界寺、と見られており、断定できる状態ではありません。
まして、

>もう少し複雑なお話をしますと、足利源氏義兼公、この義兼公が大日如来を信仰いたしまして、晩年高野山金剛峯寺にこもって真言密教の勉強をするのです。それで法華坊鑁阿と、こういうふうに名を改めまして強情な信心をするのです。やがて足利へ帰ってきて自分の屋敷を寺にする。これが今の鑁阿寺であります。
(中略)
この法界清印の法界を実は法華坊鑁阿上人が自分の建てる奥の院、自分の2人の子供を亡くしまして子供の菩提寺、それからやがて自分もそこに葬られるであろう寺に法界寺とつける。大日如来法界清印、信仰の中心である中枢である法界清印の法界の名をとって法界寺と名付けたということは用意にうなずけるわけであります。本当に信仰して国へ帰って寺を建てて、その寺を建てるのに地名の樺崎なんて名前をつけましょうか。これは本当に子供が考えてもわかることで、法界寺に間違いない。そういうことを私は深く信じております。これは事実誤認の1つです。

事実誤認、と言っておりますが、高野山の僧法華坊鑁阿と、鑁阿上人義称足利義兼は、明らかに別人だと思うのですが・・・。
重箱の隅をつつく、というのではなく、学説を批判するなら、それくらいの基本的な部分は誤認してほしくないものです。
まして「最近はかなりいろいろな神の手を持った学者や怪しげな学者も出てきていますから一概には学者の言うことを信用できませんけれども、足利市文化財専門委員会はこれを信じてしまった。」とまで言ってるのですから。