大御堂棟札写

天福元年(1234)正月16日 足利義氏鑁阿寺大御堂の上棟にあたり、棟木に棟札を打ちつける。

この棟札は義氏が鑁阿寺の大御堂建立の際打ち付けられたものを、弘安9年(1286)の落雷による火災で大御堂が炎上した後に取り出され、正応4年(1291)に写されたものなのですが、ここには義氏以下、足利氏被官や僧侶など大御堂の造営に関わった人物が列記されています。
特に注目されるのは、鎌倉初期の足利氏被官構成が分かることで、後の貞氏の時期の被官と比べて、まだ規模が小さいことが分かります。
この中には、高一族で足利氏執事の高義定や大平惟行、熱田大宮司の野田朝氏や、真下氏、佐野氏などの名が見え、非情に興味深いものです。
また、義氏がこの頃従五位上左馬頭だったことが分かり、尊卑分脈に記されている貞永元年(1232)正五位下叙任の記事が間違っていることが分かります。