足利義氏

寛喜3年(1231)1月30日 足利義氏、左馬頭に叙任される。

 鎌倉時代の足利氏の中でも、特に重要な位置を占める足利義氏ですが、この日、義氏は左馬頭に任じられました。
 義氏は天福2年(1234)には従五位上であったので、この時点では官位はそれ以下だったわけですが、最終的には正四位下まで登っています。
 鎌倉幕府の歴史の中で見ても、将軍を除く武家正四位下まで上がっているのは、義氏以外には北条泰時北条時房北条政村の3人だけです(この3人は、いずれも義氏の時代ですね)。これだけでも、いかに義氏の力が強かったのか分かります。
 義氏は泰時・時房と供に長いこと在京していたこともあり、娘も四条大納言隆親に嫁がせるなど、朝廷との接点もあったようですね。

 これについては色々と研究し甲斐があります。