あの雲は、今日

という、高橋幸宏さんの名曲があるのです。

…という話は置いておいて、
鑁阿寺の宝物展」の詳しい話を。

鑁阿寺の宝物展』図録を3冊も買ってしまいましたが(笑)、ハードカバー&フルカラー。96Pで900円は安すぎです。
足利学校展の図録も安かったですが、一体何があったというのでしょう。
今回の企画展への足利市の力の入れようが分かります。

先日の展示品リストの主な展示品の中に、
仁治2年2月29日付「足利義氏袖判仏事用途配分状」
を記載してますが、何故かこれは会場で配っていた展示品目録にも図録にも記載されていません。
この文書は『栃木県史 資料編 中世1』を見ると、『鑁阿寺文書』中の他の義氏の発給文書2通と共に1巻に収められているようで、実際に仁治2年2月日付「足利義氏下文」の右側に収められていました。
どうせなら、宝治2年7月6日付「足利義氏置文」も出してくれればなぁ、」と思ったのですが、それは贅沢と言うものですね。
しかしこの「仏事用途配分状」ですが、『栃木県史』のものも『鎌倉遺文』のものも、原本を見る限り若干翻刻が違っており、その違いを見るのも勉強になりました。
年欠6月10日付「足利貞氏書状」は『栃木県史』には収録されておらず、『近代足利市史』で初めて紹介された文書で、現在は一軸になっておりますが、元の保存状態は余り良くなかったようです(それでも読めるのですが)。
この文書が「鑁阿寺什書目録」(『鑁阿寺文書』105号)に見える

浄妙寺殿御判 就當寺御造営二通、就一切経会一通、供僧職自寺務不可安堵御判壹通、

の中に含まれているのかいないのかは分からないのですが(私は含まれていないと思うのですが)、どのような状況で伝来したのかが気になります。

次に、残念な点を幾つか。
掲示板にも書きましたが、『鑁阿寺文書』は、鎌倉〜南北朝期以上に、関東公方に関連する文書の宝庫で、中世後期関東史を研究する際は避けては通れないものです。しかし、今回の展示は中世前期がメインで、これらの文書が余り展示されていません。
また、僧侶に関連する文書、仁木大僧正頼仲や弘尊、檀那の供養に関する記録の展示がなかったのは残念でした。

しかし、全体的に見て非常に素晴らしい展示であることは言うまでもありませんよ(笑)。