光明寺の五輪塔群

先日の中前勉鎌倉遠足から。

鎌倉市材木座の浄土宗寺院「天照山蓮華院光明寺」の五輪塔群。
本当に五輪塔ばかり(笑)。
鎌倉期から室町中期位にかけての物のようで非常に美しい五輪塔ですが、何故か本堂脇の壁の横に大量に安置され、ありがたみが薄れてしまいます(笑)。
その殆どが安山岩製で、写真では分からないと思いますが、中には鎌倉石製の塔も見受けられます。
光明寺の開基は鎌倉幕府4代執権北条経時と言われます。元々は佐介ヶ谷に建立された蓮華寺が前身であったと言われるそうで、寛元元年(1243)に光明寺と名を改め、現在地に移したとされます。

が、蓮華寺から光明寺への改名は南北朝期以降と考えられているようです。
現在、裏山に経時の墓とされる宝篋印塔がありますが、これは江戸時代に造立された供養塔で、『吾妻鏡』寛元4年閏4月2日条によれば、経時は佐々目山麓に葬られた、と言われます。佐々目は、経時子で真言宗の世界に君臨した佐々目大僧正頼助がその本拠地としたた遺身院のあった場所で、経時の墳墓の脇には、将軍藤原頼嗣室であった北条時氏娘(経時・時頼妹)の檜皮姫も葬られたといいます。
また、蓮華寺は実際に佐助ヶ谷にあったと言われ、経時はここにも葬られたとされています。

それにしても、また機会があったら掲載しますが、光明寺の開山塔は凄まじいです…。