義経

九日 癸巳 晴。
NHK大河ドラマ義経」が始まりましたね。
相変わらず私のPCで「よしつね」と入力すると「義経」ではなく「良経」と変換されてしまいます(笑)。
色々と突っ込みどころのあるドラマですが、まぁ、今回は第一回を見る限りでは好感持てたかな…。
基本的に『平治物語』ベースの話が多かったのが面白かったですね。

●清盛と常葉のエピソ−ド。

『牛若奥州下りの事』
 さても常葉をば清盛最愛して、ちかき所にとりすへて、かよはせけるとぞきこえし。されば其腹の男子三人は、流罪をものがれて、兄今若は、醍醐にのぼり出家して、禅師公全済とぞ申ける。希代の荒者にて、悪禅師といひけり。中乙若は、八条の宮に候て、卿公円済と名揚て、坊官法師にてぞおはしける。弟牛若は、鞍馬寺の東光坊阿闍梨蓮忍が弟子、禅林坊阿闍梨覚日が弟子に成て、遮那王とぞ申ける。
(中略)
 母の常葉、清盛に思はれて、姫君一人まふけたりしが、すさめられて後は、一条の大蔵卿長成卿の北の方になりて、子どもあまた出来たり。

●髭切丸と頼朝・清盛のエピソ−ド

『頼朝義兵を挙げらるる事並びに平家退治の事』
髭切といふ太刀、清盛がもとにありしを、御まもりのためとて、院にめしをかれたりしを、今度頼朝にたまはりけり。青地の錦の袋にいれられたり。三度拝して給はりけるとなん。
 此太刀に付てあまたの説あり。頼朝の卿、関が原にてとらはれ給ひし時、随身せられたりしかば、清盛の手にわたって、院へまいりけりと云々。又或説には、いまのはまことの髭切にはあらず。まことの太刀は已前より青墓の大炊がもとよりまいらせける也。其ゆへは、兵衛佐、大炊にあづけられけるを、頼朝囚人と成給ひし時、此太刀を尋られけるに、今はかくしても何かせんとや思はれけん、ありのまゝに申されけり。則大炊がもとへ尋られけるに、「源氏の重代を、平家の方へ渡さんずる事こそ悲しけれ。兵衛佐こそきられ給ふとも、義朝の君だちおほければ、よも跡はたえ給はじ。まづかくして見んと思ひければ、泉水とて、同程なる太刀ありけるを、抜かへてまいらする。髭切は、柄鞘円作り。定て佐殿にみせまいらせらるべし。佐殿、童とひとつ心になりて、子細なしとの給はゞ、もとよりの事なり。もしこれにはあらずと申されば、女の事にてさぶらへば、取ちがへ候けりと申さんに、くるしからじ。」と思案して、泉水をのぼせける也。
難波六郎経家、うけ取てのぼりけるを、やがて頼朝にみせ奉りて、「これか。」ととはれけるに、あらぬ太刀とは思はれけれども、長者が心を推量して、そなるよしをぞ申されける。清盛大きに喜て、秘蔵せられけるを、院へめされけるなり。まことの髭切は、先年大炊が方よりまいらせけると云々。

髭切は、「鎌倉時代掲示板」で釈由美子が好きさんも仰られてますが、弘安9年(1286)12月5日付「北条貞時寄進状」(『相州文書』所収「法華堂文書」)によれば、後に頼朝から某神社→安達泰盛北条貞時→頼朝法華堂、という風に伝来していきます。