鎌倉幕府の転換点

弘長2年(1262) 足利頼氏、23歳で没。(吉祥寺位牌、瀧山寺縁起)

 今日、永井晋著「鎌倉幕府の転換点−『吾妻鏡』を読みなおす−」(NHKブックス)を今更買ってきたのですが、結構面白いですね。細川重男氏の「鎌倉政権得宗専制論」以降、鎌倉時代研究に弾みがついてきた気がするのですが、この本も最新の(と言っても発行は2000年12月なのですが)研究成果を踏まえたもので、内容も分かりやすいです。
 特に私が興味を引かれたのは、冒頭の源三位頼政に関する部分なのですが、頼政の挙兵は足利氏、特に義清に深く関わってくるだけに参考になりますね。 ただ、この挙兵に加わっていたのが、「山槐記」に記される足利判官代義清ではなく、「吾妻鏡」の足利判官代義房にしてるのはどうかと思いますが(私は、義康の嫡子義清と同じ八条院判官代であった人物が足利氏内にいたとは考えにくいので、義房は義清の誤記であると思うのですが)。