鎌倉散策

鎌倉に行って参りました。
目的は「北条義時やぐら」。
鎌倉には何度も行ってるのですが、彼の地は場所も良く分からず、行きたい思いだけが募っていたのです。

北条義時墓所は『吾妻鏡』では

貞應三年(1224)六月十八日
戌剋。前奥州禅門(北条義時)葬送。以故右大将家(源頼朝)法華堂東山上為墳墓。葬礼事。被仰親職之所辞申。泰貞又称不帯文書故障。仍知輔朝臣計申之。式部大夫(名越朝時)。駿河守(極楽寺時)。陸奥四郎(北条政村)。同五郎(金沢実泰)。同六郎(伊具有時)。并三浦駿河二郎(泰村)。及宿老祗候人。少々著服供奉。其外御家人等参会成群。各傷嗟溺涙云々。

とあり、また同年八月八日条に
故奥州禅室墳墓〈号新法華堂〉
とあることから、源頼朝の法華堂(墳墓)の東の山上の法華堂に葬られたことが分かります。法華堂はこの時代の上級階層の墓所として建立されることが多く、頼朝の墓所も現在は江戸時代に島津家が造立した層塔ですが、先の記事でも分かるように、元々は現在の墓所の地に法華堂が建立されました(以前は山下の白旗神社の地が法華堂跡とされていましたが、現在は墓所が法華堂の地であると理解されています)。

そう、北条義時墓所は「法華堂」なのです。やぐらは、鎌倉という都市が狭いことから、土地を有効利用するために考案され、「やぐら=法華堂」であると考えられています。
となると、「北条義時やぐら」とは一体何なのでしょうか?

問題なのはその場所で、幾つかのサイトで見たり、行った事のある人に聞いた限りでは「登る道がない」とか「草むらの中」だとか「足を滑らせかねない」とか…。
一体どんな所なのだろうか?興味は尽きません。

どうせ鎌倉に行くのだから、暫く行きたかったのに行く機会がなかった金沢街道と二階堂の付近を中心に歩くことに決めました。
考えていたルートは、
鶴岡八幡宮→保寿院跡(足利基氏養母清江禅尼菩提寺)→報恩寺跡(上杉能憲開基)→太平寺跡→来迎寺(一遍開山)→北条政村別邸跡→源頼朝法華堂跡→三浦氏やぐら・大江広元やぐら→北条義時やぐら→荏柄天神→杉本寺→浄妙寺・大休寺跡・延福寺跡→報国寺足利家時・義久墓)→釈迦堂切り通し
と、いう所。

しかし…

前日までかなり強い雨が降っており、これでは「義時やぐら」に行けないのではないか?という懸念が…。