樺崎寺下御堂法界寺の金剛界大日如来像

既に新聞やニュースでも報じられており、掲示板でも紹介いたしましたが、足利市樺崎町の、足利義兼創建の足利氏御廟所「樺崎寺」(廃寺になり、八幡宮となっている)の「下御堂法界寺」に安置してあった木造金剛界大日如来坐像が発見されたそうです。そして、平安時代末期〜鎌倉時代初期の仏師運慶の工房での製作による物、と云う事も報じられました。

以下ニュースより引用です。

鎌倉彫刻を代表する仏師、運慶の作と見られる木造大日如来座像(個人蔵)が新たに見つかった。木札など運慶独特の像内納入品がエックス線写真で確認されたことが決め手となった。

 1193年(建久4年)、栃木県足利市の仏堂に安置されたと伝えられる仏像にあたる可能性が高い。運慶の作風展開を考える上で、重要な発見となる。

 調査した山本勉・東京国立博物館教育普及室長によると、像高は66・1センチ、ヒノキ材を用い、表面は金色に仕上げている。東京文化財研究所の協力でエックス線写真を撮ったところ、底板で封じられた像内に、五輪塔形の木札、仏像の魂の象徴で、「心月輪(しんがちりん)」と呼ばれる水晶珠(しゅ)、仏舎利容器と見られる水晶製の五輪塔が納められていることが判明。木札の形状など、運慶独特の像内納入品と共通点が多い。

 作風も、きりりとした顔立ち、鋭い彫りなど運慶作品の特徴を示す。特に鎌倉時代初期の有力御家人、足利義兼が作らせたとされる足利市・光得寺所蔵の運慶作品に極めて近い。

 こうした運慶と義兼の関係に加え、義兼の亡き娘たちを供養するため、1193年、同市内の仏堂に大日如来像を安置したとの古い文献があり、そこに記された大きさと一致することなどから、山本室長は、この文献の像に該当するのではないか、と見ている。

 山本室長は1988年、光得寺像を運慶作品として位置づける論文を発表したこともあって、昨年夏、同作品との類似に気づいた所蔵者から連絡を受け、調査を進めていた。「建久年間(1190―99年)の前半は作品が見つかっていなかった空白期。運慶と東国武士の関係を考える上でも興味深い」と語っている。来月発行予定の同館の学術誌「MUSEUM」で、研究成果が発表される。作品は同館に寄託されており、来月6日―6月30日、光得寺像とともに平常陳列で公開される。
(以下後編に続く)