埼玉県立文書館と覚園寺宝篋印塔

浦和(現さいたま市)にある埼玉県立文書館に行ってきました。
ずっと行きたかったのですが、中々行けずじまいだったのです。
館内は予想以上に狭く、神奈川の公文書館などに比べれば遥かに小さいのにビックリ。
ここでは『埼玉県史』に収録されている文書・古記録の写真帳ならばコピー出きるそうです。この辺は神奈川県立公文書館と一緒かな。
とりあえず必要であった内閣文庫蔵『御的日記』の鎌倉時代分の写真版をコピーする。
群書類従』に収録されている「御的日記」は南北朝からで、鎌倉時代部分は内閣文庫所蔵本にのみ記されています。
この鎌倉部分に気になる部分があったので、そのうち閲覧したいと思っていました。
コピー代が高いのはこういう機関なので仕方がない(笑)。

文書館を12時30分頃に出て浦和駅まで出て、今度は一路鎌倉へ。
目的は「覚園寺」。

13日まで鎌倉国宝館で開催されている、秋季特別展「覚園寺−開山智海心慧七百年忌記念−」に合わせて、普段非公開の開山塔と大燈塔の二基の鎌倉末期の大型宝篋印塔を中心とした廟所を拝観できると聞いたからです。
13日と言うことで期間が短いので、この機会を逃したらもう見られないかもしれないのです。
この二基の宝篋印塔は、大蔵派と呼ばれる石工集団が造立したもので、非常に美しい塔です。

鎌倉に到着したのが14時20分頃。
急いでレンタサイクルに行って自転車を借り、一路二階堂の覚園寺へ。
二階堂方面は歩いていくにはちょっと距離があるし、バスも本数が少ないのです。そして覚園寺は公開する時間が毎時丁度と決まっており、最終公開時間である15時に到着するには、自転車でないと間に合わないと踏んだからです。

途中にある鶴岡八幡宮鎌倉宮などはスルーして覚園寺についたのが14時40分頃。
山門脇にある至徳3年(1386)の銘のある層塔を写真に撮る。基本的に境内は撮影禁止なのですが、門の付近だけは大丈夫らしい。
この層塔、以前来た時も至徳3年の銘が入ってる割に綺麗だな、と思ったのですが、聞いてみると京都にある層塔のレプリカとの事。
納得。

現在覚園寺では、修造のための勧進もしていて、瓦や板葺の銅版に名前を書いて寄進出切るので、私も寄進してみる(笑)。当然花押入り(笑)。

さて、そんなこんなで15時になり、いざ鎌倉…もといお坊さんの案内で境内へ。

まずは国宝館に仏像を貸し出してすっかり寂しくなった本堂へ。
残っている仏像は本尊薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩とおびんづる様のみ。
この茅葺の本堂は、文和2年の再建で、足利尊氏の寄進によるもの。梁には尊氏の署名もあります。
本尊前の位牌は、尊氏のものがあるのは知っていましたが、覚園寺開基北条貞時−最勝園寺殿−の位牌もあるのを確認。開基なのだから考えてみれば当たり前なんだけど(笑)。

その後はいよいよ廟所へ。
期待に胸の鼓動が高まります。
廟所は谷の奥で、時間が遅いせいもあって空気が冷え込んでいます。いかにも「聖域」という感じです。
廟所前の門を潜るって、左手を見ると…

ありました

苔むした巨大な宝篋印塔です。後方には室町期〜近代までの無縫塔群もあります。

しばし開山塔の前で呆然と立ち尽くします。解説も耳に入ってきません。
逆行で見づらかったのが残念でしたが、余りの感動で細かい部分を見るのも忘れていました。

写真ではよく分かりませんでしたが、実際に拝観してみた印象だと、開山塔より大燈塔の方が笠の形が好みでした。

覚園寺を15時50分頃に出ると、まだ少し時間があったので、後醍醐天皇の皇子で足利直義に殺されたことで有名な、大塔宮護良親王(尊雲法親王)の廟のある理智光寺跡に行ってみることにしました。

ここは山の上にあるので、ヒィヒィ言いながら階段を上がっていきましたが、廟所までは入れず。確か宮内庁の管轄だったのかな。知っていたけどね(笑)。
スーツを着ていたので、無理をせず大人しく再び階段を下りて大人しく鎌倉駅へ。

それにしても覚園寺宝篋印塔は素晴らしかった。
願うのならばもう一度見たい。