Monkey Magic 2006

再結成したGodiegoの第一弾シングル"Monkey Magic 2006"をフライングゲット

感想は…スゲェジャジーな感じ。モロに最近のミッキーの趣味だね。
オリジナルよりもかなりスローなのが気になるが、これはこれで良いかも。
でも、オリジナルのような派手さ・インパクトはない。オリジナルがこれだったら、ヒットはしてないだろうな。
中間部のキーボードソロは、モーグとかのアナログっぽい音だけど、どうなのかな。多分最近のシンセだと思う。

カップリングの新曲2曲は…。

"START SINGING AGAIN"は元々タケのソロ曲(らしい)。作風はGodiego解散後のタケのソロっぽい。確かにタケらしい明るい曲なのだが、この歌詞は何とかならんのか(笑)。それでも、ゴダイゴの再出発に相応しい曲だとは言える。因みに、東大寺コンサートでは2曲目に演奏していた。

"HANGSANG SARANG HYEYO"は、ミッキーの曲。しかし、何故韓国語??
パーカッションが控えめで、ホーンという印象の強いGodiegoらしくないストリングスをフューチャーした静かな曲。バックでウネウネ言ってるモーグっぽい音が懐かしさを感じさせるが、やっぱりGodiegoっぽくない。浅野氏のギターソロが、まるでYesのSteve Howeを髣髴とさせる(笑)。

全体的には、やっぱりタケのヴォーカルの衰えが気になるなぁ。99年の再結成の時もそうだったけどね。

佐藤和彦先生

中世史、特に南北朝期の研究で著名な佐藤和彦先生が、昨日和歌山でのシンポジウム出席中に突然倒れられ、亡くなられたそうです。

最後にお姿をお見かけしたのは、3月の鎌遺研例会での事でした。
研究会などで何度かお姿を拝見したことしかありませんでしたが、大家でいらっしゃるのに、研究会に精力的に参加され、活発に議論をされているお姿には本当に驚かされ、また奮わされたものです。
謹んで哀悼の意を表します

「東京大学史料編纂所の国宝・重文名品展」と「古典籍展観大入札会」

今日は、東京大学資料編纂所と御茶ノ水の東京古書会館で開かれている、東京古典会「古典籍展観大入札会」に行って参りました。

史料編纂所では、今日明日と「東京大学史料編纂所の国宝・重文名品展」という展示が行われています。
これは、編纂所で発行が予定されている『東京大学史料編纂所影印叢書』を記念して、編纂所所蔵『島津家文書』や『小笠原文書』『台記』などの原本・古写本を展示する、という企画です。

興味の赴くままに展示史料をリストアップしますと…

『島津家文書』
・元弘3年4月29日付「足利高氏書状」(歴代亀鑑のうち)
・元弘3年6月10日付「足利高氏書状」(歴代亀鑑のうち)
(貞和5年)9月28日付「高師直書状」(歴代亀鑑のうち
・観応2年7月26日付「足利直冬御教書」(歴代宝鑑のうち)
・正平6年8月3日付「後村上天皇綸旨」(歴代宝鑑のうち)
・正平6年11月13日付「足利尊氏御判御教書」(歴代宝鑑のうち)
・観応3年卯月13日付「足利義詮御教書」(歴代宝鑑のうち)
・応永9年8月16日付「足利義満御判御教書」(歴代宝鑑のうち)
・「江戸大地震之図」(江戸時代)

文治5年2月13日付「源頼朝下文」
元暦元年10月30日付「源範頼下文」
正長元年9月27日付「飛鳥井雅縁譲状」
応永26年『耕雲紀行』

『小笠原文書』
・(貞和3年)5月17日付「足利尊氏自筆書状」
・(貞和3年)5月17日付「足利直義自筆書状」
・観応2年正月26日付「小笠原政長自筆書状」
・(嘉吉元年)5月26日付「足利義教御内書」
・元亀4年7月6日付「武田勝頼判物」

南無阿弥陀仏作善集」(鎌倉時代
台記』(鎌倉時代
「右衛門督補任」(鎌倉時代
検非違使補任」(鎌倉時代
「後嵯峨院北面歴名」(鎌倉時代
「大将歴名」(鎌倉時代

『升堂記』(林家関係資料、江戸時代)
寛政5年12月16日付「口宣案」(林衡叙任関係書類、林家関係資料)

『康道公記』(江戸時代、二条家記録)
『御湯殿上日記』(高松宮家本)

などがあります。

普段は中々お眼にかかれない『島津家文書』をはじめ、主に南北朝期の文書が数多く展示されています。
足利尊氏の文書だけで5通も出てます(笑)。
『小笠原文書』の尊氏・直義書状は、以前東博で開かれた東京大学史料編纂所史料集発刊100周年記念「時を超えて語るもの―史料と美術の名宝―」展以来です。
『島津家文書』は、「時を超えて語るもの」展では、鎌倉時代の文書が展示されていましたので、南北朝期の文書は初めて見ました。
また、注目したいのは「検非違使補任」で、これは以前に一度見ているのですが、『続群書類従』に収録されている同書の原本になります。
続群書類従』のものは編纂所所蔵原本(と言っても古写本ですが)から収録したのではなく、誤記が多く見られる江戸時代の写本からのもののようです。

特に私が眼を見張ったのは、正長元年9月27日付「飛鳥井雅縁譲状」で、これは詳細はあえて書きませんが(笑)、丁度私が探していたような内容だったので驚きました。
まだこんなものが出てくるとは。恐るべき史料編纂所(笑)。

今回の展示の図録もあるのですが、カラー写真が豊富かつ解説も詳細で素晴らしい。
しかも「無料」。
これは見逃せないですよ。

「古典籍展観大入札会」は、その名の通り入札会で、決して古文書・古典籍の「展覧会」ではないのですが(いや、そういう性格もあるのですが)、文書や古典籍を真近で見れるばかりか、実際に「手にとることが出来る」機会なのです。
昨年はなんと「安達泰盛乱自害者注文」(凝念自筆『梵網戒本疏日珠鈔』巻第八紙裏文書)が、数十年ぶりに出てきたということで驚いたのですが、今年はそれに匹敵するようなサプライズはありませんでした。
しかし、それでも醍醐寺地蔵院や東寺宝菩提院に関する聖教が出てきて驚きました。
特に地蔵院親快(親玄師)の伝法灌頂に関する史料は垂涎物です。しかし巻子本なので、読むのに苦労するし緊張します…。

お腹一杯の一日でした(笑)。

埼玉県立文書館と覚園寺宝篋印塔

浦和(現さいたま市)にある埼玉県立文書館に行ってきました。
ずっと行きたかったのですが、中々行けずじまいだったのです。
館内は予想以上に狭く、神奈川の公文書館などに比べれば遥かに小さいのにビックリ。
ここでは『埼玉県史』に収録されている文書・古記録の写真帳ならばコピー出きるそうです。この辺は神奈川県立公文書館と一緒かな。
とりあえず必要であった内閣文庫蔵『御的日記』の鎌倉時代分の写真版をコピーする。
群書類従』に収録されている「御的日記」は南北朝からで、鎌倉時代部分は内閣文庫所蔵本にのみ記されています。
この鎌倉部分に気になる部分があったので、そのうち閲覧したいと思っていました。
コピー代が高いのはこういう機関なので仕方がない(笑)。

文書館を12時30分頃に出て浦和駅まで出て、今度は一路鎌倉へ。
目的は「覚園寺」。

13日まで鎌倉国宝館で開催されている、秋季特別展「覚園寺−開山智海心慧七百年忌記念−」に合わせて、普段非公開の開山塔と大燈塔の二基の鎌倉末期の大型宝篋印塔を中心とした廟所を拝観できると聞いたからです。
13日と言うことで期間が短いので、この機会を逃したらもう見られないかもしれないのです。
この二基の宝篋印塔は、大蔵派と呼ばれる石工集団が造立したもので、非常に美しい塔です。

鎌倉に到着したのが14時20分頃。
急いでレンタサイクルに行って自転車を借り、一路二階堂の覚園寺へ。
二階堂方面は歩いていくにはちょっと距離があるし、バスも本数が少ないのです。そして覚園寺は公開する時間が毎時丁度と決まっており、最終公開時間である15時に到着するには、自転車でないと間に合わないと踏んだからです。

途中にある鶴岡八幡宮鎌倉宮などはスルーして覚園寺についたのが14時40分頃。
山門脇にある至徳3年(1386)の銘のある層塔を写真に撮る。基本的に境内は撮影禁止なのですが、門の付近だけは大丈夫らしい。
この層塔、以前来た時も至徳3年の銘が入ってる割に綺麗だな、と思ったのですが、聞いてみると京都にある層塔のレプリカとの事。
納得。

現在覚園寺では、修造のための勧進もしていて、瓦や板葺の銅版に名前を書いて寄進出切るので、私も寄進してみる(笑)。当然花押入り(笑)。

さて、そんなこんなで15時になり、いざ鎌倉…もといお坊さんの案内で境内へ。

まずは国宝館に仏像を貸し出してすっかり寂しくなった本堂へ。
残っている仏像は本尊薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩とおびんづる様のみ。
この茅葺の本堂は、文和2年の再建で、足利尊氏の寄進によるもの。梁には尊氏の署名もあります。
本尊前の位牌は、尊氏のものがあるのは知っていましたが、覚園寺開基北条貞時−最勝園寺殿−の位牌もあるのを確認。開基なのだから考えてみれば当たり前なんだけど(笑)。

その後はいよいよ廟所へ。
期待に胸の鼓動が高まります。
廟所は谷の奥で、時間が遅いせいもあって空気が冷え込んでいます。いかにも「聖域」という感じです。
廟所前の門を潜るって、左手を見ると…

ありました

苔むした巨大な宝篋印塔です。後方には室町期〜近代までの無縫塔群もあります。

しばし開山塔の前で呆然と立ち尽くします。解説も耳に入ってきません。
逆行で見づらかったのが残念でしたが、余りの感動で細かい部分を見るのも忘れていました。

写真ではよく分かりませんでしたが、実際に拝観してみた印象だと、開山塔より大燈塔の方が笠の形が好みでした。

覚園寺を15時50分頃に出ると、まだ少し時間があったので、後醍醐天皇の皇子で足利直義に殺されたことで有名な、大塔宮護良親王(尊雲法親王)の廟のある理智光寺跡に行ってみることにしました。

ここは山の上にあるので、ヒィヒィ言いながら階段を上がっていきましたが、廟所までは入れず。確か宮内庁の管轄だったのかな。知っていたけどね(笑)。
スーツを着ていたので、無理をせず大人しく再び階段を下りて大人しく鎌倉駅へ。

それにしても覚園寺宝篋印塔は素晴らしかった。
願うのならばもう一度見たい。

シンポジウム「石塔形式の将来にみる異文化間交流−中世の宝篋印塔を

シンポジウム石塔形式の将来にみる異文化間交流 ――中世の宝篋印塔を中心として――
日時 2005年9月11日(日)午後1時〜6時                  会場 國學院大學渋谷キャンパス
主催 國學院大學21世紀COEプログラム
東国文化研究会

開会あいさつ  峰岸純夫氏(國學院大學
報告
岡本智子氏(大阪府文化財センター)
「日本における石造宝篋印塔の成立過程とその意義」
張毅捷氏(東京芸術大学客員研究員)
「『宝篋印陀羅尼伝来記』について」
山川均氏(大和郡山市教育委員会
「石造宝篋印塔将来の背景」
コメンテータ
斎藤彦司氏(元神奈川県立歴史博物館)
下高大輔氏(奈良大学大学院)
司会・発題   千々和到氏(國學院大學

*参加ご希望の方は、9月5日必着で、ご住所・お名前を明記の上、下記まで「はがき」またはE-mailで事前登録をお願いします。参加費はいただきません。

國學院大學COEプログラム事務局(太田宛)
〒150−8440 東京都渋谷区東4−10−28
 E-mail pa03_oota@kokugakuin.ac.jp

*終了後、希望者で懇親会を行う予定です。懇親会参加ご希望の方は、シンポジウム参加希望の連絡の時に、「懇親会出席希望」とお申し添え下さい。(懇親会参加費は、一般4000円を予定)
*渋谷キャンパスは、渋谷駅から、①徒歩15分、②または都バス「日赤医療センター行」10分の「国学院大学前」下車、徒歩1分です。会場は、バス停前及び正門に掲示してあります。

[問い合わせ先] 國學院大學COEプログラム事務局  電話 03−5466−0132
[東国文化研究会会員の方の問い合わせ先] 東国文化研究会事務局 電話045-902-0127